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2002年9月13日

音楽ジャーナリスト:池田卓生の今日の音楽日記
ご案内

 9月4日

 午前と午後に一つずつ、コンテンポラリー・ダンスの団体を訪ねた。午前はフィンランディア・ホールに近いプロダクション「ノマディ(Nomadi=遊牧民の複数形、日本の現代音楽の「アンサンブル・ノマド」と同じ語源だ)。1996年に4人の独立したアーティスト(コリオグラファー&ダンサー)の管理業務やプロモーションを一ヶ所で行い、コストを抑えるとともに、ダンスの普及を後押しする目的で発足したという。プロデューサーのピルエッタ・ムラーリは今週末からフィンランド舞踊界の使節団の一員として、初めて日本を訪れる。国内より国外で知られたアーティストが多く、国の補助金は伝統的なバレエに集中しがちで資金が不足、なかなかライブの演奏で踊れないのが悩み……と、どこかの国にそっくりの話を聞いた。午後は1940年代に建てられたヘルシンキ電線会社、後のノキア電線工場を91年にヘルシンキ市が取得、市全額出資の不動産会社が管理する各種モダンアートの創作拠点に生まれ変わった欧州最大のフリーアートセンター(延床面積53,000u)「ケーブル・ファクトリー」に移動。ここを本拠とするニューダンス・センター「ゾディアク(Zodiak)」のコリオグラファー&ダンサー、パウラ・トゥオヴィネンとセンターのペッカ・ティモネン所長に付き添われ、広大な施設を見学。ダンスだけでなく、写真家、画家、ガラス工芸家、アパレル・デザイン、ケーブルテレビ局、日本や中国の武術まで60以上の団体・アーティストが入居、「儲かっているところが、そうでないところを資金的に助ける」ような共同体的動きもあるらしい。埠頭に面した館内レストランはエスニック志向。昼食にタイ風グリーンカレーを食べた。やはり館内の演劇博物館、ホテル・レストラン博物館(フィンランドのアルコール販売がビールなど一部を除き、今も専売公社方式という事実を知った)を見た後ホテルで一休み、はす向かいのBOSSヘルシンキ店で冬物のジャケット、スラックスを買った。ドイツに住んでいた頃より高級化したとはいえ、日本での販売価格は高過ぎる。今はイタリアのマルゾット系列だから「ヒューゴ」でもいいが、昔はドイツ語らしく「フーゴー・ボス」と発音した。夜はサロネン指揮ロスフィルの2日目。組曲「マ・メール・ロワ」と「ラ・ヴァルス」とラヴェルの管弦楽曲を最初と最後に置き、シベリウスの「交響曲第7番」、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「アゴン」をはさむ選曲はもとより、それぞれを燦然と完璧に再現した力量に感心した。コンビを組んで10年、以前の日本公演では"鳴らし過ぎ"だけだった西海岸風のシベリウスが今や血と肉を獲得し、輝かしさと内面性を兼ね備えるに至った。米国で一番シベリウスを素晴らしく演奏するオーケストラなのではないか。休憩時間にはロスの新しい演奏会場「ウォルト・ディズニー・コンサートホール」を設計した米の建築家フランク・O・ゲーリーとロスフィルの名支配人だったアーネスト・フライシュマン、ヘルシンキ放送響を6日に指揮する英国の作曲家トーマス・アデスらと話す機会があった。アデス初期の作品、オーボエとホルン、チェンバロのための「ソナタ・ダ・カッチャ」を僕がプロデュースした古部賢一、中野振一郎のデュオ・リサイタルで紹介した話をすると、とても喜んでいた。演奏旅行のマネージャー、英ヴァン・ヴァルサム社のロデリック・トムソンも東京で会ったばかり。地球は一つだ。




 今日の音楽

 ベートーヴェン最後のピアノ作品です。ワルツニ長調(作品番号なしの85番)で、ベートーヴェン自身の書き込みによると、1825年11月14日の作だそうです。ちなみにベートーヴェンが亡くなったのは、1827年の3月です。ということは、ベートーヴェンは、1826年の1年は、ピアノの曲は作らなかったということになります。
 しかし、この1826年には、弦楽四重奏曲の最高傑作第14番作品131、最後の作品番号135が与えられる弦楽四重奏第16番、弦楽四重奏第13番の終楽章が作曲されることになります。

☆今流れている曲のアドレスは以下と通りです。音楽付きメール等にお使いください。
http://beethoven.op106.com/M20001201_091256/M20020911_081724.mid

をクリックすると一覧表が出てきます。


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