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2002年9月18日

音楽ジャーナリスト:池田卓生の今日の音楽日記
ご案内

 【最終回】

 フィンランドを発って1週間が過ぎた。今日の振替休日(16日)は妻を伴い、フィンランドから日本へ来たコンテンポラリー・ダンスのミッション一行と広尾で昼食を一緒した。日本人がヘルシンキへ行き、フィンランド人が東京を訪れ、それぞれの街で再会する。別にフィンランドに限らず、現代の人と人とのコミュニケーションは時間距離の短縮を背景にダイナミズムを増し、文化の相互理解や交流、融合、創造にも新しい輝きを与えている。一見、保守本流のように見えるクラシック音楽の世界でも、グローバル化は否応無く進み、一つの閉鎖された小社会としての「楽壇」という権力構造の護持は難しくなった。12日には来年10月から新国立劇場オペラ部門の芸術監督に就くトーマス・ノヴォラツスキーが記者会見を行い、同席したアンドレアス・ホモキら気鋭の演出家や指揮者を起用、五十嵐・現監督時代まで続いたダブルキャストを廃し、ストゥーディエンライター(ドイツ語。歌劇場で指揮者と演出家の接点に立ち、アンサンブルの音楽面を統括する要職)に日系米国人のブライアン・マスダを招き、世界一級の歌劇場に伍すだけの芸術的メッセージの発信、有名歌手の顔見世を超えたアンサンブルの徹底、基本レパートリーの整備を目指すとした。「組織」としての歌劇場を長く持たず、歌手の団体が師弟・上下・学閥関係で配役を分け合い、手旗信号に毛の生えた程度の段取り芝居で「オペラ」と称していた時代を引きずったまま、あるいはその時代の労苦に報いるため、名誉職を持ちまわる場として開かざるを得なかった新国立劇場がようやく、グローバルスタンダードへの接近を始めることになる。方法論がドイツ語圏の歌劇場に近いのは事実だが、前任者がイタリア歌劇の「声」を重視した後では、一種のバランス感覚とも言える。「二兎を追うものは」の例えもあり、しばらくはムジークテアーター(音楽と演劇が高次に一体化した劇場表現)の路線で歌手団体との距離を明確にとり、自律した組織として機能できる「国立歌劇場」の地固めに徹すれば良いのだ。金融や自動車産業の例を引き合いに出すまでもなく、日本では構造改革の荒療治が全て、外国からの助っ人や外圧任せというのは情けない。だが、日本の楽壇の最高権威者をもってしても、欧米の歌劇場で正職員として長期にわたって勤務、要職を歴任した人材は皆無なのだから、「ノヴォは40代と若く、国際楽壇では無名」などとネガティブキャンペーンばかり張らず、「洋楽第三世紀の大計」くらいのつもりで力を貸す度量の大きさが欲しい。いかに華やかに塗り固め、権力に護られた業績も、本人が死んでしまえば過去のもの。芸術の才能がすぐれて個人に帰属する事象である以上、音楽の「正統な継承」などというのは甘美な幻想、迷惑な妄想でしかない。日本の演奏家も作曲家もマネージャーも聴衆も劇場・興行関係者もジャーナリスト・評論家も、クラシック音楽が国境を超えたユニバーサル商品である以上、国内の狭い楽壇で汲々とせず、絶えず世界に目を向け、必要とあれば(従来の知名度とは関係のない)ホットな現場へ出向き、どこの国・地域の人にも「なるほど」と肯かせるだけの尖ったメッセージの発信に全身全霊を傾けるべきである。一年近い間、勝手なことを書きつらねる中で明確になってきたジャーナリスト=池田卓夫(社外では「卓生」を使う場合が多い)の意識は、欧米の音楽学者系ジャーナリストの深い分析には力が及ばないことを認めた上で、彼らにはない機動性を生かしつつ、空気の振動でしかない「音楽」という得体の知れない芸術の最先端で発生する事象の数々をできるだけ手加減せず、早く、正確に伝えて行こうという気構え。この欄を提供して下さった庄司渉さんに「お酒の度が過ぎる」と注意されたが、2時間なり3時間のステージを仕事として集中して聴くと心身が消耗、どうしても気付け薬が欲しくなってしまう悪循環の構図も見えてきた。フィンランドでの食中りが半端ではなかったので、ザリガニか生魚のウィルス感染を疑い、先週末に胃の内視鏡(胃カメラ)検査を受けたところ、案の定、胃壁に"新鮮過ぎる"生魚に潜む寄生虫の引き起こした炎症、その端に小さなポリープがあり、両者の因果関係と悪性か良性かの最終判断をするための組織検査を依頼した。ストレスが出発点のグルメ、ワインのもたらす結末としては妥当なところか?駆け出し記者のころ言われた「原稿より健康」の注意を今一度思い出し、少しでも良い原稿を実らせるだけの気力と体力(24日で44歳になる!)を維持して行こうとも思う。こんな私的な雑感に、呆れながらも付き合って下さった読者の皆さん、庄司さんにもう一度お礼を申し上げ、連載を終える。コンサートホールや劇場で姿を見かけたら、声をかけたり、議論を吹っかけたりして下さい。とりあえずは一人でも多くの方が、10月4日18:30、なかのzeroホールでのオペラ・カンパニー「青いサカナ団」公演、極めて異例ながら僕が配役を担当した「蝶々夫人」(プッチーニ)をみて下さるよう切望する。「後はビールを飲みながら」となると、また、元の木阿弥だけど……。




 今日の音楽

 メンデルスゾーンの歌曲作品47−4です。
 歌詞を要約すると、次のようになります。

 人が最愛のものと別れなければないことがあったとしたら、それは神が定めたことだ。
 それは、この世で最も辛いことではあるけれど。

 1本のつぼみが贈られてきたとき、君はそれをコップにさすだろう。
 朝につぼみが開いても、夜にはしおれてしまうかもしれない。
 そのことは覚悟しておくべきなのだ。

 君に恋人ができ、君が心から彼女を大切にしいても、
 彼女は君を一人ぼっちにしてしまうかもしれない。
 そのときは、泣くのが一番だ。泣くことが。

 さあ、僕の話が理解できたかな。
 だから、人は、別れの時に、
 「アウフ・ヴィーダー・ゼーン(また会いましょう)」
 と言うんだよ。

☆今流れている曲のアドレスは以下と通りです。音楽付きメール等にお使いください。
http://beethoven.op106.com/M20001201_091256/M20020911_031948.mid

をクリックすると一覧表が出てきます。


(お知らせ)

 2000年12月1日から始めた「今日の音楽」も、今日をもって最終回とさせていただくことになりました。
 会社の方針として、各種コンテンツを有料化することになりました。それにともなって、サーバーの移転、有料・無料の境界線の設定基準など、解決しなければならない問題が生じたからです。ご理解をいただきたく思います。
 ながいことありがとうございました。
 またお会いできる日があることを願っております。

 最後になりましたが、池田様には、約1年の間、お付き合いをいただき、ここをよろ感謝しております。
 ありがとうございました。
 原稿を拝見させていただくに、すこし飲みすぎでは、と心配しております。
 お体にお気をつけくださいますように。そしてますますのご活躍を期待させていただきます。

 庄司渉


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