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2002年9月14日

音楽ジャーナリスト:池田卓生の今日の音楽日記
ご案内

 9月5日

 午前中はフェスティヴァル事務局の所在地でもある「ラシパラスティ」というビルの中の映画館で米国の建築家フランク・O・ゲーリーを囲む討論会。ロサンゼルス・フィルハーモニックの新しい演奏会場「ウォルト・ディズニー・コンサートホール」の建設経過や、建築と音楽をめぐる興味深い意見のやり取りが同フィル支配人のデボラ・ボルダ、前任者アーネスト・フライシュマン、音楽監督エサ・ペッカ・サロネンとの間で繰り広げられた。入場無料とあって、客席には600人以上がつめかけ満員。ゲーリーが自らの心に問いかけながら、懸命に繰り出す言葉は米国のメディア向けに"洗練"された他3者の発言より魅力的だった。音響設計者として永田音響設計の豊田氏の名前が度々語られ、研究熱心で人懐こい同氏が2006年に開く予定のヘルシンキの新しいコンサートホールの仕事も受注していることに対し、何となく誇らしいものを感じてしまった。午後はフィンランド音楽情報センターで現代作曲家のCDを受け取り、昼食にセルフサービスのインド料理を食べた後はホテルで昼寝。午後5時にフィンランド建築博物館で「ゲーリー展」のオープニングに立ち会い、旧知のデザイナー、マルック・ピリと合流、ヘルシンキから二時間半のところで彼が主宰する芸術村(19世紀の貴族のヴィラを利用)を日曜日に訪ねる約束を交わし、ホテルとカフェをはしご。旧歌劇場のアレクサンダー劇場でテロ・サリネンの振付とソロダンスによる「HUNT」を一緒にみた。8月に東京でも上演した「春の祭典」(ストラヴィンスキー)の新解釈のフィンランド初演(8月26日付あたりの「今日の音楽」に詳しい説明を書いた記憶がある)。僕には新宿の高層ビル内のホールより、19世紀のプロセニアム(額縁舞台)劇場の方がバレエの歴史も垣間見え、面白く思えた。終演後は客席に残った聴衆とダンサー、プロデューサー、照明家、衣装家、マルチメディア・アーティストの公開討論会。朝の討論会後の質疑応答といい、夜といい、とにかく議論が好きな人たちだ。客席で合流した日本語の達人、駐日フィンランド大使館文化・広報担当、サミ・ヒルヴォの神業的同時通訳のおかげで、本番より長い討論の詳細まで楽しめた。その後のレセプションでサリネンに声をかけたら、「東京で会ったのは6年前だね」と、これまた神がかり的な記憶力に遭遇した。96年はフィレンツェ歌劇場日本公演、「アイーダ」(ヴェルディ)のバレエ場面で古典的な踊りではなく、不思議なダンスを披露した。その時の打ち上げで話し込んだのを覚えていてくれたらしい。大野一雄にも師事した、非常に興味深いダンサーだ。適当なところで楽屋パーティーを失礼し、ヒルヴォさんと伝統的なフィンランドの魚料理とスペインの白ワインを堪能。さらにホテル裏のバーをはしごするうち、関西圏で活躍する大学教授や環境設計事務所の経営者ら、ランドスケープ関係の専門家と出くわし、さらに盛り上がった。それぞれが面白い分野で働き、パックではなく、個人旅行の集合体で僕と同じホテルに泊まっている。みなヒルヴォさんの日本語に舌を巻きながら、それぞれのフィンランド体験を披露。関西大学の教授で、30年前に1年間、ヘルシンキに住んでいたという年配格の先生が中野振一郎(チェンバロ)の父上を良く知っているという話にどこかで行き着き、またしても「世の中狭い」となった。




 今日の音楽

 ベートーヴェンの、「パイジェルロの『水車小屋の娘』の<もはや心には感じない>」 による6つの変奏曲です。「今日の音楽」でも、何回かご紹介しましたが、僕のお気に入りなので、再再度登場です。

 パイジェルロの歌劇は、ウィーンで1795年で上演され、この主題が流行したのだそうです。それをテーマにベートーヴェンは変奏曲を作って、女性に贈ったといわれています。
 ベートーヴェンが25歳の時の話です。しかし、ベートーヴェンは、この曲に作品番号を与えませんでした。

 「パイジェルロの『水車小屋の娘』の主題<もう私の心には感じられない>」は、イタリア古典歌曲( 2001年11月6日 )として今でもイタリアでは人気の曲だそうです。

☆今流れている曲のアドレスは以下と通りです。音楽付きメール等にお使いください。
http://beethoven.op106.com/M20001201_091256/M20020911_082316.mid

をクリックすると一覧表が出てきます。


  2002年9月9日 のバッハのインヴェンションは途中までだったのですが、終わりまで入力し更新しておきました。


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